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Jリーグを引退した選手から学ぶ(3)

2012.12.17

前回に引き続き、週刊現代の「天才スポーツ選手が語る栄光と挫折」の記事からひとつ・・・・・

玉乃淳 選手

玉乃選手のサッカー選手としてのキャリアは、中3の夏にベェルディ川崎ジュニアユースとして「ナイキ・プレミアカップ」から始まったとのことです。この大会でレアルマドリードのカンテラチームを倒したことで、スペインのアトレティコ・マドリードとエスパニョールのオファーをもらい、スペインに渡ってアトレティコ・マドリードのユースチームに入団しています。

アトレティコ・マドリードでは、クラブワールドカップでチェルシーの選手として来日していたフェルナンドトーレスとも2トップを組むこともあったほど、注目をされていた選手でしたが、玉乃選手には次の点でサッカー選手としてのキャリアに大きな影響をうけることになりました。

‐ 1999年にアトレティコマドリードのユースチームに入団、3年後の2002年にBチームへの昇格が内定していたが、トップチームがスペイン2部Aリーグに降格がきまり、Bチームがスペイン2部Bリーグに残留。2部Bリーグでは、外国人登録が認められていないため、玉乃選手には出場機会がなくなってしまった。

‐ 17歳で身長が170cm手前で止まってしまった。また、筋力も付きにくい体で、胃腸も弱く・・・ 身体的にプロ選手としてやっていける体ではなかった

その後、玉乃選手はスペインでプレーすることをあきらめて、2002年に東京ベェルディ1969(現:東京ヴェルディ)のユースチームに復帰してJリーグデビューを果たします。残念ながら、レギュラーに定着することはなく、徳島ヴォルティス、横浜FC、ザスパ草津とチームとチームを渡り歩き、2009年に引退をしました。

外国でプレーするということは、自国リーグの優位性や特徴を守るために様々なルールのなかでプレーすることが求められます。また、このルールは、毎年、変更される場合もあるのです。

玉乃選手の場合、18歳のときに、せっかくの出場機会が所属チームの降格によって絶たれてしまった。能力があって、プロの代理人やサポートする人がいてくれれば、チームを移籍をすることも検討できたでしょう。
また、なにより、17歳で成長がほぼとまってしまって、身体的にプロとしてやっていける体になれなかった。こればかりは不運としかいいようがありませんね。

玉乃選手が例になるのですが、外国チームにとって外国人選手を育成で獲得するのはリスクを伴う危険な賭けです。15歳のときに才能を見出しても、身体的に発育できないかもしれない。精神的に成長できるかわからない。リロケーション、教育にコストがかかるのに、リスクを冒してまで育成すべき選手なのか?

玉乃選手がアトレティコマドリードに入団できたのも、2000年前後のスペイン経済、及びリーガのチームの経営状況に余裕があったから実現できたのでしょう。現在、スペインのチームの大半は、経営的にそういう賭けに出ることはできない状況が続いています。

10-18歳の間をどこで、どのように、そしてどういうサポートが得られるかによって、サッカー選手のキャリアは大きく変わります。常に情報を収取しながら、その時点でのベストの選択ができるように準備が大切ですね。